2002年3月24日
Leshade Entis
■ 初めに
インターネットが急速に普及するにつれ、知的財産権が良く取りざたされるようになってきました。それは、コンピュータで著作物を取り扱う場合、アナログデータと比較して簡単な操作で、短い時間で、完全な複製が行えるようになったことに起因しています。
コンピュータプログラムや音楽など、平然とコピーしている人が大勢いますが、場合によってはその行為が著作権法に抵触する場合もあるとこをご存知でしょうか?
ここでは、どのような行為が著作権法に抵触し、またどのような行為であれば許容されるのか考えてみたいと思います。
■ 著作権とは?
「著作権とは」一体どういう性質のものなのか、一言で説明するのは実は大変困難です。と言うのも、著作権と一言で言っても、その中にはかなりたくさんの種類の権利が含まれているからです。
ですからここでは、コンピュータに関連する部分のみに絞って考えていきたいと思います。つまり、絵画(グラフィックス)、音楽、プログラムに絞って考えたいと思います。ただ、それでもまだ話は複雑で、絵画や音楽と、プログラムは分離して考える必要があります。
と言うのも、プログラムの著作権が認められたのは、他のものよりずいぶん後のことで、著作権としての性質も他のものとは異なる部分が大きいからです。
さて、では、法律では著作権で保護されるのはどのようなものなのでしょうか? 著作権は、特許とは異なり、著作物であれば何の申請もなしに保護されます。
「著作権法第一章第二節第六条の一」で、適用範囲として「日本国民の著作物」とあります。そして、著作物とは、「著作権法第一章第一節第二条の一」で、以下の様に定義されています。思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。つまり、「創作した」絵画、音楽、プログラムが著作権の保護の対象となります。
■ 著作権の目的
ではなぜ、著作権法と言う法律によって著作権を保護しなければならないのでしょうか?
著作権法の目的は「著作権法第一章第一節第一条」で、以下の様に記されています。この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。実はこの内容は特許法とほぼ同じです。しかし当然全く同じではありません。
では、どこが違うのでしょうか?
それはまさしく特許権と著作権の違いでもあるといえます。
つまり、特許では絵画や音楽、またプログラムそのものは保護の対象にはなりません。要するに、保護の対象としているものが違うのです。
しかし、その目的は特許と同じで、文化の発展に寄与すること(特許の場合は産業の発展ですが)です。
もし著作権が無ければ、例えば、模倣したキャラクターが氾濫し、キャラクターを創作した人がしかるべき利益を享受出来なくなるばかりではなく、損害をこうむる可能性すらあるのです。
■ 著作権に含まれる主要な権利
では著作権にはどのような権利が含まれるのでしょうか?
ここでは、コンピュータに関連すると思われる主要な権利について考えてみたいと思います。▼ 同一性保持権 (第二十条)
同一性保持権とは、文字通り著作権者以外の他人が、著作物の内容を改変できないようにするための権利です。▼ 複製権 (第二十一条)
もう少し前向きに言うなら、著作権者が自分の著作物に対して改変を許可できる権利です。
著作物が他人に勝手に改変されてしまっては、第三者に著作権者の意図とは離れて認知されてしまいます。このとき、場合によっては、例えば粗悪品と思われるなどして、著作権者が損害をこうむる可能性があります。
これを防止するための権利です。複製権とは、著作権者が著作物の複製を行う権利のことです。▼ 公衆送信権等 (第二十三条)
複製権は、著作権法では著作権者が専有すると書かれています。つまり、著作物の複製を第三者が行う場合には、必ず著作権者の許可が必要です。公衆送信権は、コンピュータの場合、複製権と事実上殆ど同じです。
この権利はわかりやすく言えば、著作権者が WEB 空間に著作物を他人が閲覧できる状態にするための権利で、著作権者が専有します。
■ 著作権の制限
著作権法では、第五款に著作権の制限として、例外的なことが記されています。
因みに制限とありますが、裏返しの意味として許可も含まれています。
ここでは、主要なものについて考えてみたいと思います。▼ 私的使用のための複製 (第三十条)
著作物には複製権があり、第三者が著作権者の許可無しに複製できないと先ほど説明しましたが、一方、私的使用においては基本的に複製が認められています。▼ 引用 (第三十二条)
具体的には、例えば、ネットで公開されている CG をローカルコンピュータ内で閲覧するために複製する場合や、CD の音楽をローカルコンピュータに取り込んで楽しむ場合などが当たります。
しかし、これら複製したデータを他人に渡すことは出来ません。この点を注意する必要があります。この条項はあくまで個人的な使用に限られています。第三者が著作物の一部を引用して用いることが著作権法では認められています。
しかし、ここで十分に留意しておくべき点は、「引用の目的上正当な範囲内で行なわれ」なければならないと言うことです。
「報道、批評、研究その他の引用」とありますので、引用するための目的は、批評や研究などに限定した方が望ましいでしょう。
この条項が引用という名のもとに無制限に複製できることを意味していないことに留意すべきでしょう。
■ 著作権の実際 - アニメ・マンガ
インターネットなどでは、アニメやマンガのキャラクターをモチーフにした CG を多く見ることが出来ます(と言うよりむしろ、そちらの方が遥かに多いと思いますが)。
これらは、アニメやマンガのファンが個人的に趣味で書いたものが大半を占めていますが、これらキャラクターに関連する著作権は一体どうなっているのでしょうか?
著作権法に正確に照らし合わせれば、かなり多くの CG が著作権法違反と言うことになります。しかし、一部の悪質なものを除き、多くの作家はこういったことを暗黙のうちに容認しているのが実情でしょう。
また、こういったファンの活動とつながりが深い作家の中には、制限を設けた上でこういった趣味の活動を公式に認めるところもあります。
例えば、漫画家集団 CLAMP などがそうです。CLAMP の運営するサイト、CLAMP-NET.COM では、CLAMP 作品に関する二次著作物についての制限等が明記されています。
私見ですが、今後このような作家が少なからず増えてくると思いますし、増えて欲しいと思っています。
と言いますのも、多くの作家が暗黙のうちにファンの創作活動を認めているとは言え、著作権上かなり微妙な問題を含んでいます。と言うのも、著作権は法律の性質上、かなり悪質な場合を除き、法律に違反したからと言っていきなり警察がやってきて捕まえられると言うことは無く、基本的に著作権者が訴えない限り問題になることはありません。
かと言って、無断でキャラクターを利用した創作をするのも微妙に不安ですし、しかし、キャラクターの利用を著作権者に一々問い合わせるのも大変ですし、しかも、公式に問い合わせた場合、許可がもらえるケースが少ないと言う事情があったりします。
著作権に対する認知がより徹底し、より前向きに著作権と向き合う方向に進んでいくと言うのが、望ましい状況なのではないでしょうか?
■ 著作権の実際 - プログラム
プログラムは、アニメやマンガの様に見た目では判別がつきません。
そこが、プログラムの著作権を難しくしている原因であるともいえます。
プログラムの著作権については、他の著作権とはかなり性質が異なり、文化庁(http://www.bunka.go.jp/)によって登録すると言う制度があるほどです。
特にプログラムの著作権の問題をややこしく、素人にわかりにくく(法律関係者に理解されにくく)している原因の一つに、「プログラムの再利用性」があります。
例えば、複数人の名前と得点を管理し、平均点や偏差値を求めるプログラムがあったとしましょう。このプログラムを仮に TOKUTEN としましょう。
そして、それとは別に、イルカ君との対話形式でわかりやすく名前と各教科ごとの得点を入力して、平均点や偏差値を計算して、わかりやすくイルカ君が教えてくれるプログラムがあったとします。このプログラムを IRUKA-KUN としましょう。
仮に IRUKA-KUN が、TOKUTEN を再利用したプログラムであったとしても、プログラムを使っているユーザにはそれを知る手立てはありません。知っているのはプログラムを作った人だけです。
プログラムには、「見た目の部分」と「見えない部分」があり、「見た目の部分」は再利用すると、使っている人にも再利用したことがわかるのですが、「見えない部分」はいくら再利用しても使っている人には全く知る由も無いことなのです。
そして、プログラムのソースに近い形状であるほど、プログラムの再利用性は高くなっていきます。
つまり、著作権を保護する観点から見た場合、プログラムソースを公開することはきわめてリスクの高いことです。何せ、誰かに無断で使われたとしても、使った人しか知る由の無いことなのですから。
そして、プログラムに関する著作権の世界では、結果として大きく2つの潮流があります。一方は、より積極的にプログラムソースを公開する流れ。もう一方は、より積極的に内部構造を隠蔽する流れ。
これに関しては、どちらの方が正しいと言う問題ではもはや無く、手法としての選択でしかないと冷静に捉えたほうが良いでしょう。
つまり、プログラムソースを公開する場合、著作権に対するリスクは大きくなりますが、一方公開したことによって得られる利益もあるはずです(それがいかほどのものかは定かではありませんが)。一方、内部構造を隠蔽すれば、著作権だけでなく、技術の流出を防ぐことが出来ます。
どちらも一長一短ですから、場合によって使い分けるのが賢いやり方ではないかと思います。